犯罪被害者の声
ある被害者ご家族の声
それでも生きていかねばならない
─犯罪被害者として精神科医として─
NPO法人 おかやま犯罪被害者サポート・ファミリーズ
副理事長・精神科医
高橋 幸夫
僕は精神科医として、40年間患者さんから 喜びや悲しみ、苦しみや怒りなど、色々な感情や思い(情動)について、言葉で表せるもの、あらわせないものを教えてもらい、自分なりに受け止め、納得し、解釈し、判ってきたつもりでいました。しかし、6年前の2002年6月3日、妻が突然誘拐され行方すら分からない、身も凍る事件に巻き込まれました。未だに行方が分かりません。このような被害者になってはじめて、いままでの感情や思いは頭の中で抽象的に描き捉えたもので、現実に直面して体の内から湧き出るものとは大きく異なっていました。異質と言っていいのかもしれません。感情や思いを言葉や文字で表現するには限界があり、今まで分かっていたつもりの自分は、精神科医としての奢りだったと反省しています。いまは、それらの違いを言い当てる言葉探しをしています。
事件による苦しみは消えることなく続き、決して薄らぐものではありません。形を変えながら波状的にいつまでも襲ってきます。それは、お花畑でスキップしながら口笛を吹き楽しんでいるさ中に 突然、薄暗く陽の当たらない、ジメジメした谷底に転落したような感じです。大けがをしているのに、腰を下ろす所もなく呆然と立ちすくんでいる状態です。うろたえ・あがき・疲れはて、落ちてきた崖の上を見上げて助けを求めるも、覗いてはくれても降りて来てくれる人はいないのです。もう二度と、あのお花畑で過ごす事は出来ないのだろうと、落胆し無念の思いで日々を送っているのです。事件から6年過ぎた今でも、妻の生死すら分かっていません。奈落の底に押し込められながら、何処にいるのだろうか? 何をしているだろう? 命だけでも・・・、と願う心の痛みに変わりはありません。 その日を境に生活は一変してしまいました。何事にも気力が続かず中途半端です。焦る心に、ただ時を費やしているだけの日々です。四季は移り変わるも、心の季節は当時のままで、全く ちぐはぐです。あの真夏の暑い日に、落し物でも探すかのように黙々と草を分けながら、妻を探した情景や、ダムに潜って妻を探している風景が浮かんできます。あの時、出頭してきた犯人を捕まえていてさえくれたならば・・・と、悔いる日々です。いまだに供養すらしてやれないのです。それは遠い過去のようでもあり、昨日のようにも感じるのです。暦をめくるたびに、孤独感、無力感にとらわれます。犯人やメディアへの怒りも新たに涌き、耐え切れなくなるときもあります。
いくら時が過ぎても、心の痛みはやわらぎません。浜辺に打ち寄せる波のように、静かな時もありますが、うねりの波もあります。でも、そんな赤裸々な気持ちをむき出して現実の生活は送れません。心の内に仕舞い込んでいるだけなのです。周囲の人達は元気になったと思うかもしれませんが、生活するために仕舞い込む他に仕方ないのです。心を押し殺しているのです。このような心情を言葉で表現できず、うまく伝える事ができません。重いリュックを背負いながら腰をおろして休む場も無い、ジメジメした谷底生活を送っているのです。今まで、被害者にこんな心情があるとは知らずに精神科医として過ごしてきました。その発言や行動に恥ずかしささえ覚えています。
住み慣れた土地を離れ転居してみました。帰敬式を行い妻に法名を授かることもしてみました。でも、苦しみは変わりません。僕の心の中で妻は生きているのです。妻の健康保険や介護保険も払わなければなりません。選挙の度に案内があり、年金手続の知らせもきます。社会的にも妻は生きているのです。妻は居ないのに妻は生きているのです。こんな ちぐはぐを、どうする事も出来ません。苦しんだ末、やむなく危難失踪宣告を受ける事にしました。法的な死亡扱いはできました。でも、心の中はお別れもできず、悲しみ苦しみ哀れさに変わりはありませんでした。僕の心の中で妻は生きているのです。
僕は、二つの犯罪に遇ったと思っています。犯人は2人の男女とメディアです。メディアも犯人なのです。妻を誘拐し家から連れ出したのは2人の男女ですが、その犯人は特定され逮捕寸前でした。しかし、メディアはその容疑者を「表現の自由」・「国民の知る権利」と言いつつ、しつこく追いかけまわして、自殺させてしまったのです。その結果、手掛かりを失くしてしまい、妻は僕のもとに帰れなくなったのです。帰れるはずの妻を帰れなくしたのはメディアなのです。メディアの言う「表現の自由」や「国民の知る権利」が、こんなに濫用されていいものでしょうか?「われわれ国民の生存権」や「幸福を求める基本的人権」まで侵害していると思うのです。自由や権利は、公共の福祉のために利用する責任があり、濫用してはならないと憲法に書いてあります。いまのメディアは「自由」や「権利」を濫用し暴走しているとしか思えてなりません。
いろいろな犯罪に遭い身も心も救われない人たちが多いことも知りました。犯罪被害に遭って初めて分かる事は多いです。この事を被害者は勇気を持って訴えないと、広く国民に理解してもらえないし、その苦しさは伝わりません。毎日、事件は起っています。これからも多くの人達が被害者となり、悩み続けなければなりません。とても悲しい出来事です。もう犯罪に遭いたくありません。
加害者になるか、ならないかは自分で決められますが、被害にあうか遭わないかは選択できません。犯罪は向こうから襲ってくるのです。これ以上被害者の出ない、安全で安心な社会を構築したいものです。
一度 犯罪被害に遭ったら、元の生活にはもどれません。お互いに助けあう他ないのです。まだ、被害者の気持ちを本当に深く汲んで支援してくれる組織は少ないようです。実際に自ら被害に遭わないと、深い心の痛みが分からない面があるからでしょう。被害者の気持ちを大切に理解してもらえる、被害者中心の被害者支援組織を立ち上げてみました。被害者だけでつくる自助グループも立ち上げてみました。そこでは、心の痛みを話し合い、分かち合う事で、ホッとした安らぎと相手への感謝の気持ちが自然とわいてきて、支えられ癒される自分を実感しています。心の痛みの深さ・お互いの思いやりの有難さ・自然とわいてくる感謝の気持ち・そして安らぎ、これらすべてを実感しながら、今という時をかみしめ、一日一日を過ごしています。事件前の自分を恥じながら、心の底に謙虚な姿を取り戻し 今一度、精神科医として、人生の歩みに対面して行こうと思っています。
(2008年2月)